大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和44年(ラ)178号 決定

抗告人 大和秀夫(仮名)

主文

原審判を取消す。

本件を新潟家庭裁判所長岡支部に差戻す。

理由

本件抗告の趣旨および抗告の理由は末尾添付の別紙記載のとおりである。

而して、本件記録によれば、抗告人は大正三年一月二四日故大和信三郎の子として出生し、父信三郎を佐けて家業であるみそ、醤油の醸造業にたずさわつて来たところ、信三郎が昭和四三年一二月一日死亡し、抗告人において右家業を継承することになつたので、原審に対して、その名を亡父が生前に称していたところの「信三郎」と変更することを許可されたい旨申立てたところ、原審は、家の承継を象徴するような襲名は、特段の必要性が認められない限り許可すべきものでないとの見地に立つて、抗告人は株式会社○○屋醸造所の代表取締役に選任されて同会社の経営を統括して居るに過ぎず、個人営業の経営者ではないから、特に亡父の名「信三郎」を襲名しなければ、社会生活上又はその営業上格別不便不都合があるものとは到底認められないとの理由をもつて、右申立却下の審判をなしたものであることが認められる。

よつて、審案するに、氏名の変更の許可については「氏」の変更には「やむを得ない事由」を必要とするが、「名」の変更には「正当の事由」が具備するをもつて足るものとさるべきこと、戸籍法第一〇七条の規定から明らかなところであつて、所謂襲名を直ちに家督相続の制度と結びつけ、右申立は特段の必要性が認められない限り許可さるべきものではないと解すべきものではない。申立事件毎の具体的な事情を検討して、申立ての名の変更に正当の事由があるかどうかを判断すべきである。

然るところ、一件記録(原審調査官石塚義郎の調査報告書ならびに原審における抗告人の審問調書)およびこれに編綴の、抗告人の戸籍謄本、大和信三郎の除籍謄本、大和ハツの除籍抄本、株式会社○○屋醸造所の登記簿謄本、清水ミヨ、村田チヨ、高水良江、吉松節子、大和実、牧野京子連名の原審に対する昭和四四年一月二〇日付上申書、株式会社○○屋醸造所作成にかかる「醤油ひとすじに三百五十年」と題するパンフレット、善福寺住職北条善良作成にかかる「大和家過去帳の件」と題する書面、岩国物産株式会社以下二五名連名の原審に対する昭和四四年二月一二日付陳情書、株式会社第九銀行○町支店長作成にかかる「銀行取引証明書」ならびに長岡市○町○丁目町内会長延山安太が当裁判所に提出した昭和四四年四月二日付上申書によると、

抗告人は現在株式会社○○屋醸造所の代表取締役であることが認められるが、同時に、右株式会社○○屋醸造所は昭和二七年に抗告人方の個人営業の○○屋大和信三郎商店を会社組織にしたにすぎないものであること、右○○屋大和信三郎商店は、抗告人方において父祖伝来の家業として過去三五〇年の永きに亘つて、みそ、醤油の醸造販売を続けて来たものであつて、代代当主が大和信三郎と称していたこと、現に抗告人の亡父も、幼時は大和洋助と名のつていたものを明治年間に家督を相続して当主となると、右慣習にしたがつて「信三郎」と改名し、第一二代大和信三郎として家業の維持にあたつたのみならず、上記のように、昭和二七年にその経営型態を株式会社組織とした後も、営業パンフレット(得意先への広告)の各所に、その醸造業が創業三百五十年の歴史をもつものであること、社長は第一二代当主大和信三郎であることを明記して、大和信三郎が経営を統括することをもつて三百五十年の老舗であることの一つのメルクマールとして、会社の信用の維持、拡大を計つていたこと、株式会社○○屋醸造所の取引先と認められる岩国物産株式会社以下二五名の商店、会社、農業会がいずれも、抗告人の統括する右株式会社○○屋醸造所との取引をその前身である大和信三郎商店の信用のうえに築き且つ保持しており、株式会社○○屋醸造所が○○屋大和信三郎商店の伝統と特色を持ち続けることを望み、その一端として、抗告人がその名を信三郎と変更することを希望していること、抗告人居住の町内一般も、町内の繁栄と町内会運営の円滑を期するために抗告人がその名を信三郎と変更することを望んでいること、株式会社○○屋醸造所の取引銀行である株式会社第九銀行○町支店も○○屋大和信三郎商店時代に取引を開始したものであつて、帳簿上はとも角、信用供与については、両者の実質的同一性を認めていること、一方また亡大和信三郎の抗告人以外の相続人清水ミヨ、村田チヨ、高水良江、吉松節子、大和実、牧野京子は、いずれも、長兄である抗告人が、三百五十有余年連綿としてつづいた自分らの生家の伝統ある大和信三郎の名跡を継ぐことを積極的に望んでいることが各認められるのであつて、右認定の各事実を綜合して判断する限り、抗告人がその名を「信三郎」と変更することには「正当な事由」があると認めるを相当とするというべきところ、他に右正当事由を阻却すべき別段の事情の認め得ない本件にあつては、抗告人の本件名の変更の申立は、これを許可するのが相当である。されば、以上と見解を異にし、抗告人の本件名の変更申立を却下した原審判は相当と認め難く、本件抗告は理由がある。

よつて、家事審判規則第一九条第一項に従い、原審判を取消し、本件を原審に差戻すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 石田哲一 裁判官 杉山孝 裁判官 矢ケ崎武勝)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例